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セブ島に来て変わったこと🍗🍗 ≪T・S≫ | 株式会社ストロングジャパンホールディングス

セブ島に来て変わったこと🍗🍗 ≪T・S≫

前回のブログから約半年が経過し、ブログ当番も2周目が回ってきました。

1週目のブログはパソコンとにらめっこしながら数日かけて書いた物でしたが、出来上がった物を読み返してみると一瞬で読み終えてしまい、ボリュームの無さにびっくりしたことを記憶しています。

なので今回は前回の反省を生かし、読み応えのあるブログを書こう!!

そう意気込んでパソコンに向かいましたが、画面は一向に埋まりません。

前回のブログと同様に内容のない前書きからブログをスタートし、文字数を稼いでる事に多少の罪悪感を覚えますが、そんなことを気にしていては、、いつまで経ってもブログは終わりません。

前回のブログの続きを書こうとも思いましたが、ドゥマゲテという信号もない小さな町で、グータラしてた時の記憶を遡るにもなかなか難しいものがあります。。

あっ、そういえば、コロナが始まった頃は私まだドゥマゲテにいたんでした。

2,3か月で落ち着くだろうな~

なんて楽観視してましたが、ここまで大事になるとは思いませんでした。

あの頃のドゥマゲテはあちこちに検問ができて門限や移動の制限があり、マスクやフェイスシールドの着用義務、バイクの二人乗りをする際には運転手と後ろの人との間に板を挟みなさいという。

訳の分からないルールまでありました。

全員自宅隔離が強いられていた期間もあり、ゴーストタウンと化した街のメインストリートには人の一人もいない状況でした。

ある程度、規制が緩和されてる時は週に二日程は半日の外出が許され、その度にスーパーやマーケットで食料を買い込み、BBQしていたのを覚えています。

バドミントンをしたり、YouTubeを見漁ったり、ゴロゴロと堕落の限りを尽くし、3か月間程、合法的ニートを満喫していました。

毎日が日曜日とはまさにあの時の事だったんだと思います。

ただ、どんなに拒んでも月曜日は必ず来るようで、貯金がなくなりセブでの就職が決まり、ニート生活とお別れすることになりました。

ドゥマゲテから夜行船に乗って明け方セブに到着。

2週間の自宅隔離があって、初出勤日にオフィスのドアを開けると日本人がたくさんいて緊張したのを覚えてます。

あれから2年半、あっという間に過ぎてしまいました。

そういえばセブに来てからフライドチキンを食べることが増えた気がします。

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ドゥマゲテ滞在時もJollibeeという、フィリピン大人気のファーストフード店でよくフライドチキンを食べながら、日本にいた時より大分フライドチキン食べてるなー

なんて考えていましたが、セブに来てからのフライドチキン消費量はドゥマゲテのそれとは比較になりません。

Jollibeeはもちろんですが、フライドチキンの屋台が至る所にあるのがセブです。

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マニラに行った時もフライドチキン屋台はこれ程ありませんでした。

屋台ではフライドチキンを手でちぎって、唐辛子やカラマンシーという小さいレモンっぽい果汁入りの酢醤油を付けて、葉っぱに包まれたプソというお米と一緒に食べます。

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日本ではかぶりつくのが主流かと思いますが、フィリピンではフライドチキンを手でちぎって食べるのです。

ただ、TPOによってはスプーンとフォークで食べたりもします。

また、フライドチキンとお米を一緒に食べることも日本ではなかった気がします。

ファミチキとおにぎりの組み合わせはよくありましたが、フライドチキン定食は見たこともありません。

日本でフライドチキンを食べる時はピザかハンバーガー等のパン系と合わせてたので、フィリピンでフライドチキンとお米のセットを見た時は、衝撃でした。

それでも、住む環境が変われば人は変わるというのは本当のようで、今ではフライドチキン脇にお米を必要とする体になってしまいました。

みなさんもセブに来られた際は是非フライドチキンを食べてみて下さい。

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